ご閲覧ありがとうございます。麻雀や雑談などを語るブログです。
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オカルト麻雀をデジタル派の人は批判していますが人それぞれ好きなように打てばいいと思っています。
むしろ、無理やりやらされている戦術でやってても全然面白みがないので、自分の納得した戦術を取り入れた方がいい思います。なので、人の事はどうでもいいじゃないの?と思います。
例えば、オカルト麻雀を身に付けて前より強くなっていれば、それは実力のアップですし、その後にデジタルの戦術を覚えてデジタルの方が強いなどと、気付けば(逆も然り)比較して戦術分析ができ、強い方を選ぶことができます。問題なのが、今のデジタル派の人はオカルト戦術を使ってもないのに、使えないと言っている傾向があります。
この世に幽霊はいますか?と聞かれれば一般の人でも意見は割れますが、科学者はいないと断言していることが多く、証拠がないのでこういうことになっておりますが、自分は霊が見えるわけではないので実際に見た事がなく、居るとも居ないとも思ってません。
↓続きをどうぞ!
霊体験は金縛りなら一度だけではなく、何度もなったのでネットなどで調べて、状況が金縛りと同じ傾向でしたが、これは自分でも霊とは関係ないと思っています。
実際に体が動かなかったのですが、これはただの疲れからくるのだと思います。科学者は、金縛りのシステムを脳の働きなどで解明してきてますしね。
戻りまして、この世に自称霊能力者(あえて自称です)は何万人居るのでしょうか?
その何万人の全員が嘘を付いているとは思えないのです。
中には詐欺師もいるでしょうが、霊がいないことが100%確証されれば、今の自称霊能力者達が詐欺師と化すでしょう。
科学者達は今の時点で、何万人とも居る自称霊能力者達を全員嘘付きだと言っていますが、口だけならお互いなんとでも言い合えるので将来科学技術が発達し、 完璧な結論が出た時にどちらかが大嘘付きだったことが分かります。その時になったら、どう考えても科学者達はノーリスクな状態だと思います。
自称霊能力者達の場合は大詐欺師呼ばわれされるリスクがあります。しかも、詐欺なので裁判沙汰にも当然なりますね。
逆に、科学者達の予想が外れた場合は、「これは、科学技術のおかげで証明できたから科学は凄い。」、「その当時(今のこと)の科学の知識や理論で居ないと結論付けるのは理に適っている。」などと、結局は言い訳をしやすい立場だと思いますね。
そう考えると、今散々否定している科学者は堂々と名前を出して(中には居ますが)、将来確証されたときに、この科学者は嘘や間違っていた考えを堂々してい た学者と、レッテルを貼られるぐらいの覚悟がなければ否定をしてはいけないと思います。そのような、状況になったらどの科学者も一気に考えを鞍替えするで しょう。
中には霊は居ると言ってる科学者もいるでしょう。ですが少数派だと思います。
科学者の中に霊能力者が居ないの?とも思えます。その人は、率先して論文などを書いて欲しいですが、評価をされることは少ないと思われます。
信じない科学者は全国の霊スポットに何度も行ったり、自称霊能者の真実の証明をしたり、霊能力をつけられる修行でもさせて、霊を見させるようにするしかないですね。でもそんなこともせず、頭の中の想像だけで否定しているのが科学者なのです。
とにかく、霊を科学者が実際に見ればその論文でも書いてこの件は終わるのですが、何十年も完全な証拠の論文が出てないとなると、霊は居ないのかもしれませんね。
中には手相も否定している学者も居ますが、これもまとめてどうにかして欲しいですね。
結局は不確定のものに確証を持って発言などすれば、科学者とて2択のあるか、ないかだけなら、2択のどちらにも学者が別れますので、正解の方の科学者が選 ばれれば、その人が出てきて「昔から唱えていた私の理論は正しかった。」とでも言うだけだと思います。もちろん、不正解の方は注目されず、ただ終わるだけ ですけどね。つまり、否定も肯定も大勢での数打ちゃ当たる状態ですね。
今までの歴史でも、この学者はこの理論を当てた偉人だといわれても、真逆の説を唱えていた人が居るわけで、もし、真逆が正しい場合となれば、その人が偉人になるわけで、つまり結果がどちらだとしても、当たる人が居る状態になるわけです。
さて、話しは戻りますが、霊が居る=オカルトシステムがある、と言う事に直接なりませんが、そうなれば少しはオカルトが見直されると思います。
実際に体が動かなかったのですが、これはただの疲れからくるのだと思います。科学者は、金縛りのシステムを脳の働きなどで解明してきてますしね。
戻りまして、この世に自称霊能力者(あえて自称です)は何万人居るのでしょうか?
その何万人の全員が嘘を付いているとは思えないのです。
中には詐欺師もいるでしょうが、霊がいないことが100%確証されれば、今の自称霊能力者達が詐欺師と化すでしょう。
科学者達は今の時点で、何万人とも居る自称霊能力者達を全員嘘付きだと言っていますが、口だけならお互いなんとでも言い合えるので将来科学技術が発達し、 完璧な結論が出た時にどちらかが大嘘付きだったことが分かります。その時になったら、どう考えても科学者達はノーリスクな状態だと思います。
自称霊能力者達の場合は大詐欺師呼ばわれされるリスクがあります。しかも、詐欺なので裁判沙汰にも当然なりますね。
逆に、科学者達の予想が外れた場合は、「これは、科学技術のおかげで証明できたから科学は凄い。」、「その当時(今のこと)の科学の知識や理論で居ないと結論付けるのは理に適っている。」などと、結局は言い訳をしやすい立場だと思いますね。
そう考えると、今散々否定している科学者は堂々と名前を出して(中には居ますが)、将来確証されたときに、この科学者は嘘や間違っていた考えを堂々してい た学者と、レッテルを貼られるぐらいの覚悟がなければ否定をしてはいけないと思います。そのような、状況になったらどの科学者も一気に考えを鞍替えするで しょう。
中には霊は居ると言ってる科学者もいるでしょう。ですが少数派だと思います。
科学者の中に霊能力者が居ないの?とも思えます。その人は、率先して論文などを書いて欲しいですが、評価をされることは少ないと思われます。
信じない科学者は全国の霊スポットに何度も行ったり、自称霊能者の真実の証明をしたり、霊能力をつけられる修行でもさせて、霊を見させるようにするしかないですね。でもそんなこともせず、頭の中の想像だけで否定しているのが科学者なのです。
とにかく、霊を科学者が実際に見ればその論文でも書いてこの件は終わるのですが、何十年も完全な証拠の論文が出てないとなると、霊は居ないのかもしれませんね。
中には手相も否定している学者も居ますが、これもまとめてどうにかして欲しいですね。
結局は不確定のものに確証を持って発言などすれば、科学者とて2択のあるか、ないかだけなら、2択のどちらにも学者が別れますので、正解の方の科学者が選 ばれれば、その人が出てきて「昔から唱えていた私の理論は正しかった。」とでも言うだけだと思います。もちろん、不正解の方は注目されず、ただ終わるだけ ですけどね。つまり、否定も肯定も大勢での数打ちゃ当たる状態ですね。
今までの歴史でも、この学者はこの理論を当てた偉人だといわれても、真逆の説を唱えていた人が居るわけで、もし、真逆が正しい場合となれば、その人が偉人になるわけで、つまり結果がどちらだとしても、当たる人が居る状態になるわけです。
さて、話しは戻りますが、霊が居る=オカルトシステムがある、と言う事に直接なりませんが、そうなれば少しはオカルトが見直されると思います。
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はじめまして
忙しい人向け雀鬼MADからマイリスを経てやってまいりました。
「東南車さん」ってお呼びするんで良いですかね?
東南車さんは「デジタル派がオカルト戦術について、試してもいないのに否定するのは間違っている」と言いたい訳ですよね。
つまり「無責任な発言で他人を否定するな」と。
でもその「否定するのは間違ってる」って意見も、結果として相手を否定してしまう意見になってたりするの、気付いてましたか??
「オカルト派を否定するデジタル派・・・を否定するオカルト派」
どういう言い方をしても、結局はこの形になってしまう訳です。
これは幽霊はいるかいないかの例にも当てはまりますが、東南車さんみたいな立ち位置の場合、さっきの幽霊の話に出てくる学者の中に例えると一番卑怯な立場になってしまう気がします。
それは、「否定も肯定もしないで、ただ誰かすごい人が証明してくれるまで待っている学者」です。
「どちらとも言いがたい」で調べもせずに決断を保留して、いざ結論が証明されれば「おまえらは間違ってたんだ」って否定派の片割れに言いにくるような、そういう立場になってやしませんか?
憲法にもある通り、日本には発言の自由ってのがあるんですよ。
だから誰が何を否定しようが、ある程度の領域を出ない限りは自由に意見できる訳です。
犯罪とか人を死に追いやるレベルでなければね。
「自分はこう思っている」と意見した時点で、どこかの誰かの意見の否定になってしまう場合がほとんどなのですから、「オカルト派をむやみに否定すべきではない」みたいな意見すら、一見して中立の立場に見えるものの、ちょっと見方を変えたら「オカルト派を否定するデジタル派を否定する意見」と見てとれる訳です。
説明が難しいですね・・・
ようするに、オカルト派・デジタル派のどちら側でもないなら、むやみにブログでデジタル派を否定するような文面は書くべきではないのでは、と言いたいのです。
「どちらの意見も持たないのなら外野はすっこんでろ」的な言い方をすれば分かりやすいでしょうか。
どちらを否定するでもなく中立から意見しようとするのは難しいんです。
一見中立に見えたとしても、見方を変えればしっかりどちらかを否定してしまっている意見がほとんどなんです。
だから、むやみにブログなんかでおおっぴらに中立っぽく意見しようとはしない方が良いと思います。
どうしてもするなら、完全に中立な意見でいてください。
この文面、自分から見たらデジタル派の否定の文章でしたので。
長々と失礼しました。
「東南車さん」ってお呼びするんで良いですかね?
東南車さんは「デジタル派がオカルト戦術について、試してもいないのに否定するのは間違っている」と言いたい訳ですよね。
つまり「無責任な発言で他人を否定するな」と。
でもその「否定するのは間違ってる」って意見も、結果として相手を否定してしまう意見になってたりするの、気付いてましたか??
「オカルト派を否定するデジタル派・・・を否定するオカルト派」
どういう言い方をしても、結局はこの形になってしまう訳です。
これは幽霊はいるかいないかの例にも当てはまりますが、東南車さんみたいな立ち位置の場合、さっきの幽霊の話に出てくる学者の中に例えると一番卑怯な立場になってしまう気がします。
それは、「否定も肯定もしないで、ただ誰かすごい人が証明してくれるまで待っている学者」です。
「どちらとも言いがたい」で調べもせずに決断を保留して、いざ結論が証明されれば「おまえらは間違ってたんだ」って否定派の片割れに言いにくるような、そういう立場になってやしませんか?
憲法にもある通り、日本には発言の自由ってのがあるんですよ。
だから誰が何を否定しようが、ある程度の領域を出ない限りは自由に意見できる訳です。
犯罪とか人を死に追いやるレベルでなければね。
「自分はこう思っている」と意見した時点で、どこかの誰かの意見の否定になってしまう場合がほとんどなのですから、「オカルト派をむやみに否定すべきではない」みたいな意見すら、一見して中立の立場に見えるものの、ちょっと見方を変えたら「オカルト派を否定するデジタル派を否定する意見」と見てとれる訳です。
説明が難しいですね・・・
ようするに、オカルト派・デジタル派のどちら側でもないなら、むやみにブログでデジタル派を否定するような文面は書くべきではないのでは、と言いたいのです。
「どちらの意見も持たないのなら外野はすっこんでろ」的な言い方をすれば分かりやすいでしょうか。
どちらを否定するでもなく中立から意見しようとするのは難しいんです。
一見中立に見えたとしても、見方を変えればしっかりどちらかを否定してしまっている意見がほとんどなんです。
だから、むやみにブログなんかでおおっぴらに中立っぽく意見しようとはしない方が良いと思います。
どうしてもするなら、完全に中立な意見でいてください。
この文面、自分から見たらデジタル派の否定の文章でしたので。
長々と失礼しました。
Re:はじめまして
もすきいとさんへ
初めまして^^
動画及び、ブログ閲覧さらには貴重なご意見ありがとうございます^^
自分は中立といいますか、まだ結論がまだ出ていないところがあります。そこに自分の表現のわかりにくさや説明不足が出てしまったようですいません。
一つ一つ説明させていただきますと、
>>東南車さんは「デジタル派がオカルト戦術について、試してもいないのに否定するのは間違っている」と言いたい訳ですよね。
まず、この意見のみで間違っていると言っているのとは違い、たとえ不確定要素のオカルト麻雀であっても、可能性や理にかなっているものもあり、オカルトとデジタルの境界線ですら不明なところがこの現象を産んでいると思います。
>>でもその「否定するのは間違ってる」って意見も、結果として相手を否定してしまう意見になってたりするの、気付いてましたか??
これはHPやブログを作る前から、そこの点も考えており意見を言うからには、逆に意見を言われる覚悟で書いてました。言われる覚悟がないと書く資格がないと思いましたので。
意見をすれば、そこには肯定と否定が産まれると言うことですね。これからはそこも吟味していきたいと思います。
>>「オカルト派を否定するデジタル派・・・を否定するオカルト派」どういう言い方をしても、結局はこの形になってしまう訳です。
これは全くその通りだと思います。だた自分はオカルト派ではなく、今のところオカルト、デジタル全肯定派であって、理由としては、まだ見ていない戦術が多くあるわけで、良い戦術はどんどん取り入れたい構えです。
ただ否定していただけなのでデジタルについての考えを示しますと、デジタルの効率的麻雀は理に適っているのがとても魅力で、わざわざ効率を下げる行為は間違っていると思いますので、どんどん理に適った戦術を発表してもらい、自分も覚えたいと思っています。
それに、デジタル派の人全員否定ではなく、批判している人がおかしいと思っているだけであって、普通のデジタル派の人や、両刀使いの人は良いと思っていますので、デジタルの戦術や使っている人は全く問題がないと思って下ります。
オカルト派の人でも、デジタルの麻雀を否定している人もいますので、それも同じく間違いだと思います。
>>それは、「否定も肯定もしないで、ただ誰かすごい人が証明してくれるまで待っている学者」です。
「どちらとも言いがたい」で調べもせずに決断を保留して、いざ結論が証明されれば「おまえらは間違ってたんだ」って否定派の片割れに言いにくるような、そういう立場になってやしませんか?
立場的には、そうなっていると思います。ですが考えとしては、今の自分の力では結論が出るまでは両方を肯定、無否定するという状態です。
結論を語るのことはいいと思いますが、完璧な確定ではないのにそれを否定に利用するのは間違っているということです。
完璧な結論がでればおとなしくみんな引き下がると思いますので、それ以上は追求しようとは思いません。
完璧な理論が出ない限り、結局は水掛け論、押し付け論になってしまいますので今の状態では何とも言えないのが現状ですが。
>>どちらを否定するでもなく中立から意見しようとするのは難しいんです。
一見中立に見えたとしても、見方を変えればしっかりどちらかを否定してしまっている意見がほとんどなんです。
もちろんオカルトにはおかしな部分もありますので、今回の記事ではオカルトは一時置いといての話をしました。
オカルトを否定するのは理論的ではないの一言で済みますので、一言では片付けられないことについての考えを述べた結果こうなりました。
否定してないことは難しく、そこにもおかしな点が出てくるということですね。
考えとしては、オカルトとデジタルに別れていること自体がおかしなことであり、どちらが正しいかも検証できるものではないと思います。実際にオカルトは存在しない可能性の方が大きいわけですしね。
わかりやすい説明、指摘ありがとうございます。こういうことは自分では気付けないので言ってもらい大変自分の為になりました。
もすきいとさんは、この問題について考えを持ち、よく理解しているようでとても素晴らしいと思います。
こういった様々な意見を話し合うことはとても大切だと思いました。この方式をブログに取り入れたい所存です。
なにより不愉快な思いをさせてしまい申し分けありませんでした<(_ _)>
もっと押さえた表現をすべきと反省して下ります。
初めまして^^
動画及び、ブログ閲覧さらには貴重なご意見ありがとうございます^^
自分は中立といいますか、まだ結論がまだ出ていないところがあります。そこに自分の表現のわかりにくさや説明不足が出てしまったようですいません。
一つ一つ説明させていただきますと、
>>東南車さんは「デジタル派がオカルト戦術について、試してもいないのに否定するのは間違っている」と言いたい訳ですよね。
まず、この意見のみで間違っていると言っているのとは違い、たとえ不確定要素のオカルト麻雀であっても、可能性や理にかなっているものもあり、オカルトとデジタルの境界線ですら不明なところがこの現象を産んでいると思います。
>>でもその「否定するのは間違ってる」って意見も、結果として相手を否定してしまう意見になってたりするの、気付いてましたか??
これはHPやブログを作る前から、そこの点も考えており意見を言うからには、逆に意見を言われる覚悟で書いてました。言われる覚悟がないと書く資格がないと思いましたので。
意見をすれば、そこには肯定と否定が産まれると言うことですね。これからはそこも吟味していきたいと思います。
>>「オカルト派を否定するデジタル派・・・を否定するオカルト派」どういう言い方をしても、結局はこの形になってしまう訳です。
これは全くその通りだと思います。だた自分はオカルト派ではなく、今のところオカルト、デジタル全肯定派であって、理由としては、まだ見ていない戦術が多くあるわけで、良い戦術はどんどん取り入れたい構えです。
ただ否定していただけなのでデジタルについての考えを示しますと、デジタルの効率的麻雀は理に適っているのがとても魅力で、わざわざ効率を下げる行為は間違っていると思いますので、どんどん理に適った戦術を発表してもらい、自分も覚えたいと思っています。
それに、デジタル派の人全員否定ではなく、批判している人がおかしいと思っているだけであって、普通のデジタル派の人や、両刀使いの人は良いと思っていますので、デジタルの戦術や使っている人は全く問題がないと思って下ります。
オカルト派の人でも、デジタルの麻雀を否定している人もいますので、それも同じく間違いだと思います。
>>それは、「否定も肯定もしないで、ただ誰かすごい人が証明してくれるまで待っている学者」です。
「どちらとも言いがたい」で調べもせずに決断を保留して、いざ結論が証明されれば「おまえらは間違ってたんだ」って否定派の片割れに言いにくるような、そういう立場になってやしませんか?
立場的には、そうなっていると思います。ですが考えとしては、今の自分の力では結論が出るまでは両方を肯定、無否定するという状態です。
結論を語るのことはいいと思いますが、完璧な確定ではないのにそれを否定に利用するのは間違っているということです。
完璧な結論がでればおとなしくみんな引き下がると思いますので、それ以上は追求しようとは思いません。
完璧な理論が出ない限り、結局は水掛け論、押し付け論になってしまいますので今の状態では何とも言えないのが現状ですが。
>>どちらを否定するでもなく中立から意見しようとするのは難しいんです。
一見中立に見えたとしても、見方を変えればしっかりどちらかを否定してしまっている意見がほとんどなんです。
もちろんオカルトにはおかしな部分もありますので、今回の記事ではオカルトは一時置いといての話をしました。
オカルトを否定するのは理論的ではないの一言で済みますので、一言では片付けられないことについての考えを述べた結果こうなりました。
否定してないことは難しく、そこにもおかしな点が出てくるということですね。
考えとしては、オカルトとデジタルに別れていること自体がおかしなことであり、どちらが正しいかも検証できるものではないと思います。実際にオカルトは存在しない可能性の方が大きいわけですしね。
わかりやすい説明、指摘ありがとうございます。こういうことは自分では気付けないので言ってもらい大変自分の為になりました。
もすきいとさんは、この問題について考えを持ち、よく理解しているようでとても素晴らしいと思います。
こういった様々な意見を話し合うことはとても大切だと思いました。この方式をブログに取り入れたい所存です。
なにより不愉快な思いをさせてしまい申し分けありませんでした<(_ _)>
もっと押さえた表現をすべきと反省して下ります。
無題
お返事遅くなって申し訳ありません。
仕事関係でバタバタしているうちに、コメントした事をすっかり忘れてしまって、チェックが遅れました。
ご返答ありがとうございます。
自分としてはそんなに不愉快な思いをした訳ではないのですが、軽はずみな発言はトラブルの種になりかねないので、あえてキツめの論調でコメントさせていただいていました。
こちらこそ勘違いしてしまって申し訳ないです。
今度は勘違いのないよう、目を皿のようにして読ませていただいたのですが、
>>もすきいとさんは、この問題について考えを持ち、よく理解しているようでとても素晴らしいと思います。
これはちょっと買いかぶりすぎです;
自分はただネットのような公共の場(?)で意見する上でのモラル・責任といった話をしただけでして、自分の麻雀の腕の方はというと、「落ち目のときに当たり牌引いたら察知して止める」だとか「次にツモるのがリーチ者の当たり牌だなって分かる」といった程度のもので、オカルト麻雀を5・6年やってたら誰でも行き着くレベルの実力しかありませんので、あまり買いかぶらないでいただきたいです;
お返事の本文にあった意見をまとめると、
「デジタル・オカルトを崇拝するのは自由」
「しかしデジタルを否定しないオカルト派・あるいはその逆であるべきで、安易に他の意見を否定すべきではない」
「デジタル派・オカルト派に意見が割れている事自体、よく考えるとおかしな事ではないだろうか」
と、こういう事ですかね。
上の文にも書きましたが、日本には発言の自由なるものがあるので、意見を否定するのも本当は自由なんです。
だから東南車さんの意見は(言い方は悪いですが)単なるキレイ事でしかない、と捉えかねられないのではないでしょうか。
確かに東南車さんの言うように争いがなければないに越した事はないです。
しかし「それぞれが自分こそ正義だと信じきってしまっている事実」と「発言の自由という法」を踏まえると、やはり単なるキレイ事という事になってしまうのではないかと、自分はそう思いました。
「争いはなくなるべき」という倫理を語るのもまた自由ではあるのですが、「現実問題として争いは取り除けない」というのもまた事実です。
うーん・・・ 説明がわかりにくいですかね。
ようは「発言の自由なる法をどうにかしない限り、東南車さんの意見はキレイ事で終わってしまう」という事をご理解いただきたかったのですが。
生まれたときから法は正義として定められていて、発言の自由という法がこの国にある以上、「ある程度のレベルを超えない限り、他人の意見を否定したり口論したりする事には目をつぶる」と・・・そうこの国では決まってしまっているのです。
発言の自由という憲法は、裏を返せばそういう意味なので。
だから「争いよなくなれ!」というのは「戦争に参加したがらない者のいう偽善的意見」とたいして変わらず、そういう意見を東南車さんは言ってしまっているのではないでしょうか・・・と、そういう事を言いたかったのですね。
キレイ事という言葉を使った事については先にお詫びしておきます。
もっと他に言い方があったかと思いますが、適切な表現が見つかりませんでした。
ただ、キレイ事と受け取られかねない以上、先ほどの東南車さんの意見は発言力(?)に欠けるというか、比較的弱い意見にあたる・・・というか・・・
ちょっと適切な表現が見つからないので、またちょっと表現が汚くなります。
「キレイ事とは、口だけならなんとでも言え、鼻で笑われるレベルの非常に弱々しい意見であり、主張というよりは戯言や偽善の域」なのではないでしょうか。
「」の内容をもっとやんわりと説明したかったのですが、文章力が足りず失礼な表現になってしまった事をお許しください。
つまり、東南車さんの先ほどの意見は・・・主張できるレベルの意見になっていず、なんというか・・・、穴だらけではないでしょうか、と。
これまた長々と失礼しました。
仕事関係でバタバタしているうちに、コメントした事をすっかり忘れてしまって、チェックが遅れました。
ご返答ありがとうございます。
自分としてはそんなに不愉快な思いをした訳ではないのですが、軽はずみな発言はトラブルの種になりかねないので、あえてキツめの論調でコメントさせていただいていました。
こちらこそ勘違いしてしまって申し訳ないです。
今度は勘違いのないよう、目を皿のようにして読ませていただいたのですが、
>>もすきいとさんは、この問題について考えを持ち、よく理解しているようでとても素晴らしいと思います。
これはちょっと買いかぶりすぎです;
自分はただネットのような公共の場(?)で意見する上でのモラル・責任といった話をしただけでして、自分の麻雀の腕の方はというと、「落ち目のときに当たり牌引いたら察知して止める」だとか「次にツモるのがリーチ者の当たり牌だなって分かる」といった程度のもので、オカルト麻雀を5・6年やってたら誰でも行き着くレベルの実力しかありませんので、あまり買いかぶらないでいただきたいです;
お返事の本文にあった意見をまとめると、
「デジタル・オカルトを崇拝するのは自由」
「しかしデジタルを否定しないオカルト派・あるいはその逆であるべきで、安易に他の意見を否定すべきではない」
「デジタル派・オカルト派に意見が割れている事自体、よく考えるとおかしな事ではないだろうか」
と、こういう事ですかね。
上の文にも書きましたが、日本には発言の自由なるものがあるので、意見を否定するのも本当は自由なんです。
だから東南車さんの意見は(言い方は悪いですが)単なるキレイ事でしかない、と捉えかねられないのではないでしょうか。
確かに東南車さんの言うように争いがなければないに越した事はないです。
しかし「それぞれが自分こそ正義だと信じきってしまっている事実」と「発言の自由という法」を踏まえると、やはり単なるキレイ事という事になってしまうのではないかと、自分はそう思いました。
「争いはなくなるべき」という倫理を語るのもまた自由ではあるのですが、「現実問題として争いは取り除けない」というのもまた事実です。
うーん・・・ 説明がわかりにくいですかね。
ようは「発言の自由なる法をどうにかしない限り、東南車さんの意見はキレイ事で終わってしまう」という事をご理解いただきたかったのですが。
生まれたときから法は正義として定められていて、発言の自由という法がこの国にある以上、「ある程度のレベルを超えない限り、他人の意見を否定したり口論したりする事には目をつぶる」と・・・そうこの国では決まってしまっているのです。
発言の自由という憲法は、裏を返せばそういう意味なので。
だから「争いよなくなれ!」というのは「戦争に参加したがらない者のいう偽善的意見」とたいして変わらず、そういう意見を東南車さんは言ってしまっているのではないでしょうか・・・と、そういう事を言いたかったのですね。
キレイ事という言葉を使った事については先にお詫びしておきます。
もっと他に言い方があったかと思いますが、適切な表現が見つかりませんでした。
ただ、キレイ事と受け取られかねない以上、先ほどの東南車さんの意見は発言力(?)に欠けるというか、比較的弱い意見にあたる・・・というか・・・
ちょっと適切な表現が見つからないので、またちょっと表現が汚くなります。
「キレイ事とは、口だけならなんとでも言え、鼻で笑われるレベルの非常に弱々しい意見であり、主張というよりは戯言や偽善の域」なのではないでしょうか。
「」の内容をもっとやんわりと説明したかったのですが、文章力が足りず失礼な表現になってしまった事をお許しください。
つまり、東南車さんの先ほどの意見は・・・主張できるレベルの意見になっていず、なんというか・・・、穴だらけではないでしょうか、と。
これまた長々と失礼しました。
Re:もすきいとさんへ
お忙しい中お返事ありがとうございます。
前回の返事閲覧及び、またしても貴重なご意見ありがとうございます。
何日か自分で悩んだ結果の考えですが、
>上の文にも書きましたが、日本には発言の自由なるものがあるので、意見を否定するのも本当は自由なんです。
>だから東南車さんの意見は(言い方は悪いですが)単なるキレイ事でしかない、と捉えかねられないのではないでしょうか。
>確かに東南車さんの言うように争いがなければないに越した事はないです。
>しかし「それぞれが自分こそ正義だと信じきってしまっている事実」と「発言の自由という法」を踏まえると、やはり単なるキレイ事という事になってしまうのではないかと、自分はそう思いました。
>「争いはなくなるべき」という倫理を語るのもまた自由ではあるのですが、「現実問題として争いは取り除けない」というのもまた事実です。
>だから「争いよなくなれ!」というのは「戦争に参加したがらない者のいう偽善的意見」とたいして変わらず、そういう意見を東南車さんは言ってしまっているのではないでしょうか・・・と、そういう事を言いたかったのですね。
確かに自分の発言はキレイ事だと思いました。
発言の問題点については争いがないことが理想ですが、それはあくまで理想なので、このブログで争いはなくなれと叫んだとしても、同意見を持つ人もいると思いますが、現状に変わりは無いと思っておりますので現状を変えるまでは言いすぎですが、賛同して貰える人がいたらいいぐらいの気持ちでしたが、逆に賛同しない人も居ることを少し無視していたようです。
そして、人間である以上全員が同じ意見となるのは、不可能なことなので妥協さも必要だと感じました。
そして、ブログに何を書くことも自由であると同時に、その書き込んだ意見に賛同を持たない人もいるわけなので、そこを考えて注意して欲しいと、もすきいとさんはおっしゃりたいとのことですね。そのことが問題だと気付きました、よく注意したいと思います。
>ただ、キレイ事と受け取られかねない以上、先ほどの東南車さんの意見は発言力(?)に欠けるというか、比較的弱い意見にあたる・・・というか・・・
>ちょっと適切な表現が見つからないので、またちょっと表現が汚くなります。
>「キレイ事とは、口だけならなんとでも言え、鼻で笑われるレベルの非常に弱々しい意見であり、主張というよりは戯言や偽善の域」なのではないでしょうか。
>つまり、東南車さんの先ほどの意見は・・・主張できるレベルの意見になっていず、なんというか・・・、穴だらけではないでしょうか、と。
つまり、自分で根拠のある証拠などでも持って来ない限り、その発言には力が不足しているので、納得のできる論理が必要だと言うことですね。
自分で誰でも納得のできるような結果が出せる研究でもできればいいのですが、結局は一般人なので自分の考えていることしか発言をすることが出来ないのが問題なので、この題材のオカルトの存在自体に何かしらの終止符を打たれない限りはどうこう言っても、水掛け論になってしまうのでお互いに思っている意見を出し合い争っているのが現状であり、しょうがなくある意味こうなる現状の方が正しいので、こうして考えた結論は、
「曖昧であり、特に完璧な結論が出ていないものなどには、もちろんお互いの意見や、様々な意見が出るが、それはどちらが正しいかもわからず、間違っているとも言えないものでも発言の自由もあるので、お互いの意見を尊重しあい解決の方向に向かうのが自然であり、逆に意見がないことは不自然であり寂しいこと、それに一部の意見を辞めさせるのも不自然である」と思いました。
そして、自分のブログに書いたものは上にある「一部の意見を辞めさせること」に当たるので、それは解決する道のための行為の妨げになっていると自分で思いましたが、この発言や考えですら正しいかもわからないのですが、あくまで自分の結論なので、もすきいとさんも別の結論をお持ちかもしれないのですが、話し合って考えた結果こう思いました。
そして、このオカルトの謎も現状では解決はされていませんので、結局は論理を待つしかないのかと思いました。
またしても、長文失礼します。及び、長文閲覧ありがとうございました。そして、わかりやすい説明、意見に感謝しております。
前回の返事閲覧及び、またしても貴重なご意見ありがとうございます。
何日か自分で悩んだ結果の考えですが、
>上の文にも書きましたが、日本には発言の自由なるものがあるので、意見を否定するのも本当は自由なんです。
>だから東南車さんの意見は(言い方は悪いですが)単なるキレイ事でしかない、と捉えかねられないのではないでしょうか。
>確かに東南車さんの言うように争いがなければないに越した事はないです。
>しかし「それぞれが自分こそ正義だと信じきってしまっている事実」と「発言の自由という法」を踏まえると、やはり単なるキレイ事という事になってしまうのではないかと、自分はそう思いました。
>「争いはなくなるべき」という倫理を語るのもまた自由ではあるのですが、「現実問題として争いは取り除けない」というのもまた事実です。
>だから「争いよなくなれ!」というのは「戦争に参加したがらない者のいう偽善的意見」とたいして変わらず、そういう意見を東南車さんは言ってしまっているのではないでしょうか・・・と、そういう事を言いたかったのですね。
確かに自分の発言はキレイ事だと思いました。
発言の問題点については争いがないことが理想ですが、それはあくまで理想なので、このブログで争いはなくなれと叫んだとしても、同意見を持つ人もいると思いますが、現状に変わりは無いと思っておりますので現状を変えるまでは言いすぎですが、賛同して貰える人がいたらいいぐらいの気持ちでしたが、逆に賛同しない人も居ることを少し無視していたようです。
そして、人間である以上全員が同じ意見となるのは、不可能なことなので妥協さも必要だと感じました。
そして、ブログに何を書くことも自由であると同時に、その書き込んだ意見に賛同を持たない人もいるわけなので、そこを考えて注意して欲しいと、もすきいとさんはおっしゃりたいとのことですね。そのことが問題だと気付きました、よく注意したいと思います。
>ただ、キレイ事と受け取られかねない以上、先ほどの東南車さんの意見は発言力(?)に欠けるというか、比較的弱い意見にあたる・・・というか・・・
>ちょっと適切な表現が見つからないので、またちょっと表現が汚くなります。
>「キレイ事とは、口だけならなんとでも言え、鼻で笑われるレベルの非常に弱々しい意見であり、主張というよりは戯言や偽善の域」なのではないでしょうか。
>つまり、東南車さんの先ほどの意見は・・・主張できるレベルの意見になっていず、なんというか・・・、穴だらけではないでしょうか、と。
つまり、自分で根拠のある証拠などでも持って来ない限り、その発言には力が不足しているので、納得のできる論理が必要だと言うことですね。
自分で誰でも納得のできるような結果が出せる研究でもできればいいのですが、結局は一般人なので自分の考えていることしか発言をすることが出来ないのが問題なので、この題材のオカルトの存在自体に何かしらの終止符を打たれない限りはどうこう言っても、水掛け論になってしまうのでお互いに思っている意見を出し合い争っているのが現状であり、しょうがなくある意味こうなる現状の方が正しいので、こうして考えた結論は、
「曖昧であり、特に完璧な結論が出ていないものなどには、もちろんお互いの意見や、様々な意見が出るが、それはどちらが正しいかもわからず、間違っているとも言えないものでも発言の自由もあるので、お互いの意見を尊重しあい解決の方向に向かうのが自然であり、逆に意見がないことは不自然であり寂しいこと、それに一部の意見を辞めさせるのも不自然である」と思いました。
そして、自分のブログに書いたものは上にある「一部の意見を辞めさせること」に当たるので、それは解決する道のための行為の妨げになっていると自分で思いましたが、この発言や考えですら正しいかもわからないのですが、あくまで自分の結論なので、もすきいとさんも別の結論をお持ちかもしれないのですが、話し合って考えた結果こう思いました。
そして、このオカルトの謎も現状では解決はされていませんので、結局は論理を待つしかないのかと思いました。
またしても、長文失礼します。及び、長文閲覧ありがとうございました。そして、わかりやすい説明、意見に感謝しております。
無題
お返事ありがとうございます。
一点気になった部分がありましたので、その点だけお伺いしたくまたレスさせていただきます。
自分が前のコメントで言いたかった要点をまとめますと…
1.発言の自由が認められている国(争いをある程度認めている国)に生まれた以上、「争うべきではない」という意見はキレイ事として受け止められても仕方がなく、悪く見れば「偽善的意見」「戯言」と同義である点。
2.1に該当するような意見では、政治家や芸能人のニュースに対して勝手な事ばかり言っているマスコミや一般人の意見と似たようなもレベルであり、「キレイ事」では発言力(説得力?)に欠ける点。
以上の二点について書かせていただいたように思います。
そして、その文から伝えたかったのは次の点です。
「キレイ事や偽善的意見なら小学生だって言える。
現実的でない以上、その意見は弱く、むしろせっかく白熱している討論に水を差すような事になりかねない。
だから偽善的意見で安易な同調を求めては、そういった偽善的思想を持つ方が増えてしまい、このブログを見て同調した方がどこかでせっかく行われている討論(論争)に水を差してまわりかねない。
キレイ事では何も解決せず、争いを鎮めてはかえって答えが出るのを先延ばしにしてしまうだけ。
なので、変にキレイ事で同調意識を求めるような内容のブログは書くべきではなく、むしろ「論争が横道にそれたときは正しい方向へ誘導しましょう」というような、問題を解決へ導く手助けになる意見が現実的であり、有効であると思われる。
お返事を読ませていただいた限りでは、正しく伝わっていないのではと不安になったため、ここにまとめておきます。
気になった点というのは、
>つまり、自分で根拠のある証拠などでも持って来ない限り、その発言には力が不足しているので、納得のできる論理が必要だと言うことですね。
という一文です。
結論を急ぎすぎるのもまた、論争が間違った方向へ進む事に繋がりかねません。
なので私が言いたかったのは、「論争を止めるのではなく、(論争が解決という形で終結するよう)論争を収める(手助けする)べき」という事です。
これは私の個人的意見ですが、「オカルト派でもデジタル派でもない方」というような第三者にあたる人間は、話が横道にそれないように見守る中立の第三者であるべきである、と思うのです。
これが自分の考えるこの問題についての結論といいますか、こうあるべきだという理想…というか…
ある意味「キレイ事」かもしれません。
しかし発言力(説得力?)の多少あるキレイ事ではないか、と自分では思っています。
そんな「読者に同調される事によって問題が解決へ向かう(または同調される事自体に意味のある)」意見でありさえすれば、ブログ等でどんどん紹介していくべき…だと。
あくまで私個人の意見ですし、そう結論ずけた瞬間に考える事をやめてしまった議題だったので、今となってはそれほど自信を持って主張できる意見ではないですが、どのような意見であるべきかの例としてあげさせていただきました。
長々と失礼します。
一点気になった部分がありましたので、その点だけお伺いしたくまたレスさせていただきます。
自分が前のコメントで言いたかった要点をまとめますと…
1.発言の自由が認められている国(争いをある程度認めている国)に生まれた以上、「争うべきではない」という意見はキレイ事として受け止められても仕方がなく、悪く見れば「偽善的意見」「戯言」と同義である点。
2.1に該当するような意見では、政治家や芸能人のニュースに対して勝手な事ばかり言っているマスコミや一般人の意見と似たようなもレベルであり、「キレイ事」では発言力(説得力?)に欠ける点。
以上の二点について書かせていただいたように思います。
そして、その文から伝えたかったのは次の点です。
「キレイ事や偽善的意見なら小学生だって言える。
現実的でない以上、その意見は弱く、むしろせっかく白熱している討論に水を差すような事になりかねない。
だから偽善的意見で安易な同調を求めては、そういった偽善的思想を持つ方が増えてしまい、このブログを見て同調した方がどこかでせっかく行われている討論(論争)に水を差してまわりかねない。
キレイ事では何も解決せず、争いを鎮めてはかえって答えが出るのを先延ばしにしてしまうだけ。
なので、変にキレイ事で同調意識を求めるような内容のブログは書くべきではなく、むしろ「論争が横道にそれたときは正しい方向へ誘導しましょう」というような、問題を解決へ導く手助けになる意見が現実的であり、有効であると思われる。
お返事を読ませていただいた限りでは、正しく伝わっていないのではと不安になったため、ここにまとめておきます。
気になった点というのは、
>つまり、自分で根拠のある証拠などでも持って来ない限り、その発言には力が不足しているので、納得のできる論理が必要だと言うことですね。
という一文です。
結論を急ぎすぎるのもまた、論争が間違った方向へ進む事に繋がりかねません。
なので私が言いたかったのは、「論争を止めるのではなく、(論争が解決という形で終結するよう)論争を収める(手助けする)べき」という事です。
これは私の個人的意見ですが、「オカルト派でもデジタル派でもない方」というような第三者にあたる人間は、話が横道にそれないように見守る中立の第三者であるべきである、と思うのです。
これが自分の考えるこの問題についての結論といいますか、こうあるべきだという理想…というか…
ある意味「キレイ事」かもしれません。
しかし発言力(説得力?)の多少あるキレイ事ではないか、と自分では思っています。
そんな「読者に同調される事によって問題が解決へ向かう(または同調される事自体に意味のある)」意見でありさえすれば、ブログ等でどんどん紹介していくべき…だと。
あくまで私個人の意見ですし、そう結論ずけた瞬間に考える事をやめてしまった議題だったので、今となってはそれほど自信を持って主張できる意見ではないですが、どのような意見であるべきかの例としてあげさせていただきました。
長々と失礼します。
Re:もすきいとさんへ
お早いお返事ありがとうございます。自分ではだいぶこの件について納得と言いますか、もすきいとさんの言いたいことを理解とともに自分の問題を見つけることができたと思いました。
>1.発言の自由が認められている国(争いをある程度認めている国)に生まれた以上、「争うべきではない」という意見はキレイ事として受け止められても仕方がなく、悪く見れば「偽善的意見」「戯言」と同義である点。
>2.1に該当するような意見では、政治家や芸能人のニュースに対して勝手な事ばかり言っているマスコミや一般人の意見と似たようなもレベルであり、「キレイ事」では発言力(説得力?)に欠ける点。
>以上の二点について書かせていただいたように思います。
>現実的でない以上、その意見は弱く、むしろせっかく白熱している討論に水を差すような事になりかねない。
>だから偽善的意見で安易な同調を求めては、そういった偽善的思想を持つ方が増えてしまい、このブログを見て同調した方がどこかでせっかく行われている討論(論争)に水を差してまわりかねない。
>キレイ事では何も解決せず、争いを鎮めてはかえって答えが出るのを先延ばしにしてしまうだけ。
>なので、変にキレイ事で同調意識を求めるような内容のブログは書くべきではなく、むしろ「論争が横道にそれたときは正しい方向へ誘導しましょう」というような、問題を解決へ導く手助けになる意見が現実的であり、有効であると思われる。
>結論を急ぎすぎるのもまた、論争が間違った方向へ進む事に繋がりかねません。
>なので私が言いたかったのは、「論争を止めるのではなく、(論争が解決という形で終結するよう)論争を収める(手助けする)べき」という事です。
>これは私の個人的意見ですが、「オカルト派でもデジタル派でもない方」というような第三者にあたる人間は、話が横道にそれないように見守る中立の第三者であるべきである、と思うのです。
>これが自分の考えるこの問題についての結論といいますか、こうあるべきだという理想…というか…
>そんな「読者に同調される事によって問題が解決へ向かう(または同調される事自体に意味のある)」意見でありさえすれば、ブログ等でどんどん紹介していくべき…だと。
今までのもすきいとさんの意見を聞き、感謝とともに自分自身に納得のできる説明をしていただきありがたいと思いました。
そして、このオカルトの問題はとても難しく実際に解決されていないものなので、議論的には盛り上がり根本的な解決策がないのが現状ですが、人々が討論をすることは解決の方向へ進むという、少なくともプラスの方向だと思い、様々な意見がでるのが当たり前だと思いました。
そして、ブログに書いた事は中間にも見えるが真相を見ると、その討論の中にいたら邪魔なものでしかなく進行を遅らせているだけだと考えが変わりました。
それならば、自分も何か新しい考えを持っていく方が少しでも助成になるのではと思い、その様な考えをブログに書けばまだましになると思いました。
今まで何度も真面目にお返事ありがとうございました。このような考えを持つ方と話し合えただけでも、ブログをやった意味があったかなと思いました。
気が向いたらでもいいですのでブログを閲覧、意見などあれば言ってもらえればありがたいと思います。<(_ _)>
>1.発言の自由が認められている国(争いをある程度認めている国)に生まれた以上、「争うべきではない」という意見はキレイ事として受け止められても仕方がなく、悪く見れば「偽善的意見」「戯言」と同義である点。
>2.1に該当するような意見では、政治家や芸能人のニュースに対して勝手な事ばかり言っているマスコミや一般人の意見と似たようなもレベルであり、「キレイ事」では発言力(説得力?)に欠ける点。
>以上の二点について書かせていただいたように思います。
>現実的でない以上、その意見は弱く、むしろせっかく白熱している討論に水を差すような事になりかねない。
>だから偽善的意見で安易な同調を求めては、そういった偽善的思想を持つ方が増えてしまい、このブログを見て同調した方がどこかでせっかく行われている討論(論争)に水を差してまわりかねない。
>キレイ事では何も解決せず、争いを鎮めてはかえって答えが出るのを先延ばしにしてしまうだけ。
>なので、変にキレイ事で同調意識を求めるような内容のブログは書くべきではなく、むしろ「論争が横道にそれたときは正しい方向へ誘導しましょう」というような、問題を解決へ導く手助けになる意見が現実的であり、有効であると思われる。
>結論を急ぎすぎるのもまた、論争が間違った方向へ進む事に繋がりかねません。
>なので私が言いたかったのは、「論争を止めるのではなく、(論争が解決という形で終結するよう)論争を収める(手助けする)べき」という事です。
>これは私の個人的意見ですが、「オカルト派でもデジタル派でもない方」というような第三者にあたる人間は、話が横道にそれないように見守る中立の第三者であるべきである、と思うのです。
>これが自分の考えるこの問題についての結論といいますか、こうあるべきだという理想…というか…
>そんな「読者に同調される事によって問題が解決へ向かう(または同調される事自体に意味のある)」意見でありさえすれば、ブログ等でどんどん紹介していくべき…だと。
今までのもすきいとさんの意見を聞き、感謝とともに自分自身に納得のできる説明をしていただきありがたいと思いました。
そして、このオカルトの問題はとても難しく実際に解決されていないものなので、議論的には盛り上がり根本的な解決策がないのが現状ですが、人々が討論をすることは解決の方向へ進むという、少なくともプラスの方向だと思い、様々な意見がでるのが当たり前だと思いました。
そして、ブログに書いた事は中間にも見えるが真相を見ると、その討論の中にいたら邪魔なものでしかなく進行を遅らせているだけだと考えが変わりました。
それならば、自分も何か新しい考えを持っていく方が少しでも助成になるのではと思い、その様な考えをブログに書けばまだましになると思いました。
今まで何度も真面目にお返事ありがとうございました。このような考えを持つ方と話し合えただけでも、ブログをやった意味があったかなと思いました。
気が向いたらでもいいですのでブログを閲覧、意見などあれば言ってもらえればありがたいと思います。<(_ _)>
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